東北太平洋沖地震から 10日目。
地震発生時、私は仕事をしていたのですが、突然の大地震に思わず机の下に隠れました。
しばらく続く揺れのあと、テレビで目の当たりにしたのは津波が迫りくる恐ろしい光景でした。
そして震源地が宮城県だと知り、仙台にいる妹のことが気になり携帯を鳴らしてみましたが全くつながらず、それどころか、町内にいる旦那にさえ連絡が取れない。
山形の震度は5強と聞いたときには驚きました。
津波が町に迫っている光景をテレビで見ながら、職場の人たちと「ここにいるの人だよね!」「早く逃げてッ!!」・・・この声が届けば良いのにとどんなに思ったことか。
そして仙台空港に津波が到達した光景が映し出されたときには、ショックのあまり声が出ませんでした。
職場の人の中には、あまりの恐怖に身体が震えている人もいました。
気仙沼の火災の様子や、津波の映像など、何度も何度もテレビで映し出され、心が痛くなりました。
こんな悲惨な現実がすぐ隣で起きていると思うと、恐ろしくて恐ろしくて、そしてそこに住む人たちの安否がとても気になりました。
3月11日にはとても眠れず、ずっとテレビの前から離れることが出来ませんでした。
翌日の昼ちかく、ようやく妹と連絡がつきホッとしたのですが、近くの避難場所での生活になっていたそうです。
(無事でよかった)
心の底からそう思いました。
そして数日後、妹から送られてきた避難場所の様子と、めちゃくちゃになった自分の部屋の写真。
とても長い時間でした。
被災地では、まだまだ沢山の人が、自分の家族や友人、親戚と連絡がとれず、不安な日々を過ごされていることと思います。
そして福島原発、ガソリン不足等による事情で、避難場所に物資を届けることが難しくなったりと次から次に困難が。
避難場所では、私が想像している生活とは比べものにならないくらい大変な環境での生活を強いられているのではないかと思います。
お年寄りや子供から食料を奪ってという話も携帯のニュースで見ました。
津波で流されてきた魚を食べたり、落ちている食べ物を食べたり・・・という記事も見ました。
テレビで映し出される情報でしか状況を読み取るこちが出来ない私にとっては、信じがたい真実でした。
妹のいる避難場所でも喧嘩があったそうです。
年代もさまざま、プライバシーもない、ストレスだって溜まる、今までの生活リズムだって違う人たちが一ヶ所に集まっているわけですからね
その中で、これからの不安や家族の安否、締め付けられる思いです。
山形にもたくさんの方が避難されています。
福島原発の影響で山形に避難してきた人が多いようです。
中には、宮城から避難してこられて、現在も家族と連絡が取れないという方もいらっしゃいます。
お金を持たぬままここまで避難してきた方も多くいるそうです。
ガソリンスタンドにも長蛇の列。買占めによる商品の品薄はどこでも起きているようです。
町内の民宿さんでは、「授乳が必要な赤ちゃんと母親を優先的に受け入れますので斡旋してください、お金は気持ちだけで結構ですので、是非・・・」と電話をくれたところもありました。
誰もが、“役にたちたい”と思っています。
72時間以上経過してもなお、奇跡的に命を取り留めていた被災者が発見されたニュースなどをみると、まだまだこの中で生きている人がいるんじゃないかと・・・。
私たち一人一人が、確実に被災者の方々の役に立っていけたらと思います。
避難されて来た方々には、人の心の温もりで少しでも心のケアが出来ればと思っています。